『ROMA/ローマ』の感想。子どもが見た70年代メキシコの階層社会。

今回は、「アメリカ流れ者」で町山智浩さんが2018年12月18日に紹介されていたNetflixオリジナル作品『ROMA/ローマ』の感想です。

2019年のアカデミー賞で最多10部門にノミネートされているということで、一体どんな映画なのかご紹介させていただきたいと思います。

≫ 今、メキシコ人映画監督がすごい!でも紹介しています。

 

『ROMA/ローマ』のあらすじ・出演者情報

あらすじ

舞台は1970年代のメキシコシティ、ローマ地区。裕福な白人の一家のもとで、家政婦として働く若いメキシコ人女性・クレオの身におこる様々な出来事を描いた作品です。

登場人物

クレオ – ヤリッツァ・アパリシオ
ソフィア – マリーナ・デ・タビラ
フェルミン – ホルヘ・アントニオ・ゲレーロ

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町山さんの解説。『ROMA/ローマ』は子供だった監督自らの視点で描く、メキシコの歴史

「ROMA/ローマ」は2018年公開のアルフォンソ・キュアロンの監督作品です。

町山さんの解説で知りましたが、これは監督の子供の頃の実体験を元にしてストーリーが制作されているとのこと。全編モノクロで撮影されている映像は、最近撮影された映画には見えず、当時の空気を鮮明に感じることができますね。

主人公のクレオは、監督が子供の頃に両親の代わりに面倒を見てもらったお手伝いさんがモデルとなっています。
本人に当時のことを取材して脚本を作っているので、ストーリーの9割くらいは実話なんだそうです。

階層社会だった70年代メキシコ

1970年代のメキシコは人種による階層社会で、スペインの人々がメキシコを植民地にしていたという歴史から白人の方が富裕層が多く、先住民族の人々は貧しい暮らしを余儀なくされていたとのこと。

映画の中で、クレオはおそらく20代くらいでかなり若い女性ですが、毎日家政婦という大変な仕事を長時間こなしています。
家政婦同士の会話の中で、クレオの母が土地を奪われることになったという話もでてきていましたね。
子供だった監督の視点で描かれているのであまり詳細な時代背景は語られず、登場人物の関係性も最初はわかりづらいです。

当時は理解できていなかったけれど、大人になった今、そのお手伝いさんがしてきた苦労を思い知った監督が、彼女に対するお詫びの意味を込めて作った映画なんだそうです。

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↓以降【ネタバレ】を含みます。ご注意を!

『ROMA/ローマ』誇張される男性性、空虚な強さ

私が一つものすごく印象に残っているシーンがあります。
クレオが好きになった男性のフェルミンと初めてセックスする時に、フェルミンが武術の型を披露するというシーンです。

事後なのか前なのかはわかりませんが、彼は服を脱ぎ捨て、全裸の状態で風呂場のカーテンレールの棒を取ってきて、威勢のいい掛け声とともに荒々しく武術を披露します。
男性性」のようなものを露骨に感じさせられるその振る舞いは、少し高圧的に思えて居心地が悪かったです。
そんなつもりはないかもしれませんが、まるで脅されているような気分にさえなりました。

この後、クレオはフェルミンの子を授かってしまいます。
当然、親であるフェルミンを頼りますが、彼は自分の子ではない、自分には関係のないことだとはねのけます。さらに、クレオに向かって「召使い」という言葉を放ち、彼女を侮辱します。

私はこの瞬間にこのフェルミンという人物に対して、得も言われぬ虚しさを感じました。
彼は貧しいスラム育ちで、武術がなければ今の自分はないと言っていました。クレオをはねのけたのも後々のシーンを見れば理由は想像がつきますし、彼には彼の苦労があるのもわかります。

でも私はどうしても自分の中でこの人物に同情したりすることができませんでした。

それはおそらく、はじめは強さの象徴のように見えた彼が、卑怯な方法でクレオから逃げ、さらには最低な言葉で彼女を傷つけたことによって、その強さはただのハリボテだったのだと気づいたからだと思います。
小手先の武術なんてなんの意味も持たない、誰を守ることもできない、ものすごく空虚で中身のないものだと思わされました。

『ROMA/ローマ』の「無力感」を映すカメラワーク

この映画は、定点もしくは左右に平行移動するだけのカメラワークが特徴的です。

非常に客観的な視点でストーリーが進行していき、まるで当時の風景をガラス越しに眺めているような気分になります。
また、どんなに悲しいことが起きても私たちは見ていることしかできない、という無力さを感じさせられます。
この無力的なカメラワークですが、ラストシーンでは私たちに希望を感じさせてくれます。

終盤、クレオが海で溺れている子供たちを助けに行くというシーンで、平行移動のカメラワークでクレオが波に立ち向かってく様子が映し出されます。

いままで、何が起きても何もすることができなかったクレオが、誰の力も借りずにたった一人で立ち向かい、波の中で必死にもがくさまに勇気付けられます。

観客側は無力的な視点だからこそ、能動的に行動するクレオの力強さがにじみ出ている、素晴らしいシーンでした。

『ROMA/ローマ』に思う、犠牲を伴うのは仕方ないという傲慢さ

クレオは紛れもなく時代の犠牲者です。
目に見える暴力を受けたりしているわけではありませんが、生まれや人種、性別だけで職業や生き方を限定されてきたのです。

そういった境遇を、周囲も本人も疑いもせず、当たり前のようにそういうものだとやり過ごしてきたのです。この映画の中でははっきりとした悪者は現れません。誰もが悪気なく、無意識のうちに人種階層社会を受け入れ、日常的に差別に加担していたということです。

クレオの妊娠が発覚した時から、地震がおこり、お酒を入れたコップが割れ、火事が起き、暴動に巻き込まれ、あらゆる不運な出来事の予兆のようなものが続いていきます。

しかしどんなことが起きても、クレオは怒ったり反発したりはしませんでした。ただただ静かに立ち尽くし、時に涙するだけです。
様々なシーンに一貫して、クレオ自身の「諦め」の気持ちがあふれています。
自分の力では、どうすることもできない社会の圧力に、翻弄されるしかないのですから。

いまもこの現代でも、時代の犠牲者として差別を受けている人々がいます。
そういった人々に「諦め」を感じさせないためなも、幸福は誰かの犠牲の上に成り立っているという資本主義の傲慢さを捨てないと、この犠牲者たちをゼロにすることは永遠に不可能なのではないでしょうか。

どうしようもない時代、ほんのすこしだけ希望を見せてくれた映画

とても辛いことばかり起きてしまうこの映画ですが、少しの救いを残してくれているのが本作の魅力だと思います。

雇い主のソフィアは、夫との関係が上手くいかずクレオにきつく当たってしまったりします。子供にもそういう空気が伝わり、一家全体が暗いムードにつつまれてしまいます。

しかしクレオが妊娠したときは優しく病院に連れて行ってくれたりと、彼女は優しい一面も持ち合わせています。
きっと夫との関係のことで情緒が不安定になっていたのでしょう。

その彼女も終盤に向けて次第に優しさを取り戻していきます。雇用主と家政婦という関係を超えることはありませんが、人を思いやる気持ちを持ちなおしていきます。
やはり根源的に悪い人ではないのです。

また、子供達や祖母もクレオのことが大好きで、家族のように接しています。

不運な出来事は起こってしまいますが、人間という生き物への希望の光を感じさせてくれる部分も大いにあります。

70年代メキシコ – 日本で暮らす私たちが知るべき多様な人々

私は当時のメキシコの情勢について全く知りませんでした。
人種で差別される階層社会は、日本で暮らしている私たちには馴染みのないものだと思います。

この映画では詳細な歴史が語られることはありませんが、それによって一層、異国の人々に感情移入することができます。
ただ知識として知るのではなく、そういった人々の気持ちを想像するための材料として、こういった映画は必要だと感じました。
知らないから分からない、のではなく、知らなくても分かろうとする心を養ってくれる名作です。

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画像出典:IMDb “Roma”